駄弁

2001年9月3日

"Aphex Twin"ことリチャード・D・ジェームスがCDでのリリース休止を宣言したのは1999年のことだった。その休止宣言を撤回し("Aphex Twin"らしいといえばそれまでのことだが)、新作drukqsを世に送り出すことが所属レーベルのワープより正式に発表されたのは数ヶ月前だ。ワープの公式サイトによるとマスタリングは終了しているとのことであり、10月22日に発売することも既にアナウンスされている。


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90年代を通してエレクトロニックミュージックの一つの指針を示してきたリチャード・D・ジェームスの音を"mouse on mars"の音にも見出してしまうのはやぶさかではないかもしれない。むしろ積極的にリチャード・D・ジェームスとヤン・ヴェルナーの共通性を考えるべきだろう。F・X・ランドミスから離れたヤン・ヴェルナーが結成した"mouse on mars"の作品の多くにポスト・エイフェックスツインの香りがする。アルバムvulvalandの一曲目froschや彼らの代表曲autoditacker、PVが印象的なdistoriaなど、その音を語る上で最も引用しやすいのが"Aphex Twin"ではないだろうか。彼らの何処に共通性を見るかといえば、その非計算性の中の計算性、いや、計算性の中の非計算性なのだろうか。いずれにしろ常に相反し対峙するような二つの概念を抱えることによって構成されうる、混沌とした世界が彼らにはある。容易なように見えて恐らく最も難解な、無為自然な世界の実現。それこそが全く状況の異なる彼らを同列に語らしめるものなのであろう。

"acionist respoke"はアルバムidiologyが"mouse on mars"的としか表現しようのないことを僅か数秒で悟らせてくれる。際立ったモノはカテゴライズされることを嫌うがこのアルバムもその通りであり、"mouse on mars"的であることすら仕方なく受け入れているかのようだ。このアルバム全体の非連続的連続性を予感させる"actionist respoke"はautoditackerと同様、聴く者にこれまでに体験したことのない感覚を与える。それは同時に既にポスト・エイフェックスツインではなく、"mouse on mars"の音であることを証明するものだ。

"mouse on mars"が切り開いた音の世界は何もidiologyで始まったわけではないが、しかしこのアルバムは、その対峙する二概念の包含ということをロジックの中に組み込んだという点で最も"mouse on mars"的な世界であり、ポスト・エイフェックスツインからの離脱をはっきりさせた。
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"mouse on mars"がエレクトロニックミュージックの新たな形を作り出したことは間違いないはずだ。これまで沈黙を守っていた(彼のインタビューとか最近見ないので、そういうことにしておきます)エイフェックスツインは何を考えていたのか。

エイフェックスツインが何処に向かうのか、ファンならずとも興味あることだ。

エイフェックスツインが新作でどのような世界を作り出そうとしているのか。


イギリスに行っていた友人から新作drukqsの何曲かを聞かせてもらった。

プロモ版ということで作品全体はまだ分からない。ただ、前作"RICHARD D. JAMES LP"を感じさせる雰囲気があった。


10月22日をとりあえずは待つことにする。


BGM "vordhosbn (from DRUKQS)" by APHEX TWIN

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