感応
2001年9月12日ボクは非常に身近にいる彼(彼女)らが何を考えているのかさえ、よく分からない。何もそれはボクに限ったことではなくて、この世の全ての人がボクと同じ状況にあると思う。精神感応なんてものがこの世にあるのならそれ以上に幸せなことはないが、残念ながらそんな便利な能力は人に備わっていない。
だからボクたちは語らなきゃいけないし、触れ合わなきゃいけなかったりするわけだ。せめて、少しは分かりたいから。
結局、文字通り手の届くところにいる人間の思考・思想でさえ、ボクたちは把握することができない。ボクにはテロ行為をした人たちの意志の強さや正義感を推測するしかなく、同様に、テロ行為に対して報復を行う人たちのそれらも推測する他ない。こういうテロ行為が許されるわけない、なんて思うのは、それはボクが報復する側に近い立ち位置に居るからかもしれない。このテロ行為に対して(残念ながら)賛辞を送る人々もこの世の中にはいる。ボクは、そういう人たちの存在とか価値観を忘れちゃいけないと思う。
でも同時にボクはこうも思う。そういう人たちも仕方なくこの手段を選んだのだと。
マザーテレサが言ってた。「好きの反対は無関心だ」って。
光は無くなったわけじゃない。
100年かかろうが、1000年かかろうがいいじゃないか。
ドイツもコイツもテメーの生きてる内に成果を出そうとあせんなよ。それはきっと見苦しい。
BGM “自由” by THE BLANKEY JET CITY
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