零夢

2001年9月26日

亜杉沙念が文壇にその名を垣間見せたのは後にも先にもその1回きりだった。1991年のエウル新人文学賞にノミネートされ審査員全員一致で大賞に選ばれながらも、亜杉沙念の経歴が出鱈目で、経歴どころか「亜杉沙念」という人物自体が存在しないことが判明し「亜杉沙念」作品の受賞は見送られた。


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「亜杉沙念」の大賞受賞騒動に関する話は究明社から1998年に出された『砂を追う』に詳しい。本来パっと出の人間がいきなり賞を受賞するというのは非常に珍しい。例え新人賞とはいえ、数え切れないほどの投稿を経てから受賞するのが一般的なはずである。この時にしか現れなかった「亜杉沙念」がどうして賞を大賞を受賞するに至ったかというところから『砂を追う』は始まり、今にも切れてしまいそうな細い糸を紡ぎ手繰りよせながら「亜杉沙念」を追う姿は、嫌でも興奮を覚えるはず。
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「亜杉沙念」が発表した唯一の作品、『零夢 〜沈んだ後へ沈む前から〜(以下、霊夢)』は今なお多くの読者を虜にしている。「亜杉沙念」の存在自体がボクたちの好奇心をチクチクと刺激するが、それと『零夢』の面白さはほとんど別物だと考えたほうが良い。新人文学賞の大賞をいきなり受賞しそうになるほどの作品だったということから推して知るべし、といった面白さだ。


(未だ読んだことのない人もなかにはいるでしょうから、物語の核心には触れないで話を進めます。安心してお読みください)


『零夢』は埼玉との境に近い、東京の北区のある小学校の6年1組を中心にして回転する。199X年夏、核の誤使用から世界は第三次世界大戦に突入した、というようなことは全くなく、199X年の9月1日の新学期、この日、神山小学校(実在の神谷小学校がモデル。詳しくは『砂を追う』に)の6年1組に転校生の「亜久杉沙織」がやってくる。「沙織」は父の仕事の関係で6年間東京を離れていたが再びこの地に戻ってきたのだという説明が学級担任からされ、そこから物語が始まる。転校して次第にクラスに馴染んでいく「沙織」が転校してきて一ヶ月が経ったある日、彼女の「実は私、あまり"ココ"を知らないの・・・・・・」という大したことない雑談中の一言から、6人の小学生の東京を舞台にした、淡く柔らかく全てがオボロゲな少年少女たちのもう二度とは訪れない時間が始まる。6人は自分たちが"ココ"を知るために、京浜東北線より東側にある公園の滑り台に、ある「標し」をつけて自分たちの「世界」を作ることに決めた・・・・・・。


何処にでも転がってそうな冒険小説のようだが、あまりそういった趣はない。「沙織」の母(父親と離婚調停中)と「沙織」の、分かりあえないという部分でしか分かり合うことの出来ない痛々しい関係と、それを見守る5人の仲間たちの暖かいが故に低温火傷をしそうな視線が交錯する。6人の仲間たちが抱えるそれぞれの悩みが時には交わり、時には平行する。大人になるのを畏れ全てがこのままであることを望む「よしみ」、兄を恨めしく思い明日に夢も希望もなく不満を吐きつづける「伸ニ」、自分の将来を見据え自分を信じつづけたい「文也」、「文也」に想いを寄せながらもその想いに自分自身が今にも潰されてしまいそうな「藍子」、世の中のことなんて見る気はないし見る気もしない神主の息子「明水」。6人が小学6年だからこその、複雑で微妙な砂上にあるような人間関係、止めることは出来ない常に更新されつづける世界との関係、それらを恐々と時には大胆に築きあげていく姿が、実に丁寧な情景描写と淡々とした人物描写によって記されていく。

反抗期をむかえ、異性を意識し始め、背伸びをしたり腰を屈てみたり。誰もが体験したあやふやで、でも決して記憶から失われることのなかった「あの日々」が今よみがえりそうになる。

6人のそれぞれの姿がボクの心を締め上げる。


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この小説の読者を惹きつける点は数え上げればキリがない。もちろん、6人の「標し」は小説の通りに現実世界の公園にもマークされているようです・・・・・・。

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