関西
2001年11月2日以前に引用したコレ(リンク)なんですが、元々は“「ハッキング」から「今晩のおかず」まで”のアノ場所から生まれた文みたい。
ゴルゴのたどたどしい口調もそれだけで十分に面白いが、それより何より僕らの琴線を刺激するのは、随所にちりばめられている九十年代の関西の(ものだと、関東人の俺が思う)笑いのエッセンスだ。
「そんなことより>>1よ」に僕らが心惹かれる理由は、見え隠れする九十年代の関西の笑い、極論すればダウンタウンの姿がそこに見て取れるからだと思う。
例えば、「もうね、アホかと。馬鹿かと」とか「150円をやるからそこを退けと」とか「問いたい。問い詰めたい。小1時間問い詰めたい」とか、本当にこれでもかというくらいダウンタウン松本を連想させる表現が出てくる。一瞬、「ガキの使い」のフリートークかと思ってしまうほど。
自己完結のようで誰かの反応(乾いた笑いとか)を求めるような言い回し、具体的な数字を言うことで奇妙な現実感を強める表現、似たような文句を強調し何度も繰り返す口調、どれをとっても松本の姿を連想させる。
これだけじゃなくて、「ブチ切れ」ひとつとってみてもそこにダウンタウンの姿を思い出してしまうのだ。関東人の俺が「キレル」という表現を初めて目の当たりにしたのは、恐らく「ガキの使い」だったと思う。
「キレル」という言葉をメディアに載せたのがダウンタウンだという自信はない。だが、「逆ギレ」という言葉に関東人の俺が触れたのは間違いなく「ガキの使い」が最初だった。これらは関西では一般に使われている表現で、ダウンタウンは単に伝道師にすぎないのかもしれないが、これらの影響はあまりに大きく、九十年代の大半を十代として過ごしてきた関東の俺にとって、やはり九十年代の一つの潮流がダウンタウンによって作られたと考えざるを得ない。
ただそれは、関東の俺にとっての関西である。関西の人間はダウンタウンを関西の笑いと見ているかどうかも良く分からないというのが正直なところ。
それで次のような考えが当然のように浮かんできた。
「関東人の俺にとって90年代の関東の笑いって何だったのだろうか」
長くなりそうだから、明日に続きます。
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似たようなことを言っている人が何処かにいるかもしれませんが、パクった訳ではありません。シンクロニシティってことで見逃してください。誰が思いついても不思議ではないでしょう、こういうことは。
それにしても、「2ちゃんねる」のコピペに嫌というほどダウンタウンの姿を見るとは思いもしなかった。
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